読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

新聞日記

新聞から世界を考えてみる

人身売買

ロヒンギャ族が人身売買の対象とされ、海上漂流している。この人々を、どのように救済するかを話し合う国際会議がタイで開かれる。

すでに21世紀。いや、いまだに21世紀なのか。

 欲望のために人が動く。そのエネルギーは、凄まじい。このエネルギーが、今日の物質的な豊かさを支えている。

しかし欲望を満たすための手段は制限されるべきである。つまり、やって良いことと、やってはいけない事があるということだ。それを規定するのは、各人の倫理や宗教であったり、法律であったり……。

ダメなことはダメ。そうしたダメなことに手を出させないようにするには、どうすればよいのか。各人のこころの中に、平和の砦を築かなければならない。

筒井康隆「旅のラゴス」

日々、おなじようなサイクルで生活している。

別にそれが悪いと言う訳ではない。

しかし日々のなかで、新しい発見や経験を意識できているだろうか。

そんな気持ちになった一冊。

 

旅のラゴス (新潮文庫)

旅のラゴス (新潮文庫)

 

 

閣僚

中央省庁を再編して、最大で17名となっていた内閣の閣僚数。それが復興庁の創設にともなって、1増設された。未曾有ともいえる災害を前にした「臨時的」な対応でもある。それが東京五輪にむけて、もう1人追加される。

必要か?

正直、そのように考える。

これでは、今後、世界遺産庁(文化庁?)担当大臣とか、防衛大臣から分化するかたちで諸島防衛担当大臣とか出てきそうだ。もちろん、このようなことは、アホらしい発想だ。

復興税のような、五輪特別税とかは勘弁してもらいたい。

政治家発言のコントロール

2020年に開催予定のオリンピック・パラリンピックにむけて整備される新国立競技場。サイズも小さくなり、そのうえ可動式屋根は開催後に設置するという構想で、コンパクトな計画になったにも関わらず、整備費用は膨らんでいるらしい。

そしてその費用を東京都が負担することになって、都知事は声を上げた。「説明が必要」であると。それに対して、東京オリンピックパラリンピック組織委員会の森喜朗会長は「経緯を全部話している」という。そして「思っていることは半分とか3分の1くらいに抑えて言わないと」との発言が記事に掲載されていた。

想像だけれども、おそらく経緯は都知事もしているのであろう。しかし問題は、都税を使うのであるから都民に対して説明する必要がある。言えばイイってものじゃない。説明が必要なのは、国(文科省)や組織委員会だけではなく、都知事も同じである。

それにしも、思っていることを抑える必要は、政治家には必要である。立場上、喜怒哀楽を、そのままストレートに表現することは慎んでもらいたい。あまりにも影響が大きいから。もちろん、それを狙ってのことでもあるのだろうけれども。しかし、感情を抑えるのはいいとしても、情報を抑えるのは困る。

国会では、日本の安全保障に関わる議論が行われているが、自衛隊が海外に、それも集団的自衛権による派遣であるにも関わらず、自衛隊員のリスクへの言及を避けているのは、あきらかにオカシイ。戦闘場面において、「後方」は「前線」に代わることなんていくらでもあるのだから、安全なわけがない。想定されるリスクはリスクとして、しっかり明言・認識したうえで、成否を問わなくてはならない。

「思っていることの半分とか3分の1くらい」などと、リスクを過小評価する。過去の大戦から、これでは何を学んだ事になるのだろうか。反省とは、謝罪することではない。

衆議院議員資産公開

興味本位なのか、それとも不正蓄財防止のためか。おそらくどちらも必要な事なのかしれない。誰が一番お金持ち?

議員本人の資産であるから、家族・親族保有の資産など、オモテに出てこない資産もある。何の意味があるのかと思ってしまうのであるが、やはり公開しないことで発生するデメリットが大きいのかもしれない。議員さんは、国民に監視されているプレッシャーを感じてもらわなければならない。

リストをザックリと見ると、金融資産と不動産がゼロになっている議員が多いことに、すこし驚いた。議員には歳費が出ているから、生活に困ることはないであろうが、大丈夫なのだろうかと心配してしまう。選挙には多くの資金がかかるからだ。そんなことを考えながらも、なんて自分は善良なんだって思ってしまう。先ほど、オモテに出ない資産もあると書いたばかりじゃないか。

それでも、議員本人の資産ではない。協力してくれるからこそ、資産をその人に預けていられる。そして必要な時に、資金を戻してくれるのであろう。まあ、信頼し合える支援者に囲まれていなければ、いや、そもそも周囲の人たちと強固な信頼関係を築くことができない人が、何万票もの得票が出来るわけがないのだ。

資産ゼロ申告の実態は、どうかわからないけれど、そういう議員の方が人間的に魅力的な人が多いのかもしれない。もちろん、これが政治的手腕とリンクするかは別問題なのではあるけれども。

民主主義

統治ということを考える機会が多い。

多くの人々が暮らすことは、多くの恩恵がある。その恩恵とは、つまり集うことで発生するパワーのことだ。このパワーは、基本的にはプラスの方向に働くのであるが、時として、常にと言うべきか、コントロールする必要がある。

自分一人のパワーなんて、たかが知れているから、マズイと思えばやめることが可能になる。しかし複数の人々が関わると、それが難しくなってくる。統治とは、このパワーをコントロールすることなのだと思う。

どのように統治するかは、さまざまな方法がとられてきた。そして最終段階として民主主義の登場である。しかし、この民主主義も、さまざまなタイプがある。国や地域によって、自由主義的な民主主義もあれば、共産主義的なものもある。

民主主義とは、統治される側からすれば、ひどく面倒くさい。コントロールの大部分は、誰かに委任していながらも、いざとなれば自分たちで判断しなくてはならない。判断するには、不断の努力が要求される。果たして、そんなことができるのか。

民主主義を要求するということは、どういうことなのか。なんだか頭が混乱してくる。でも、ここで思考を停止したら、民主主義を放棄することにならないか。なんとも憂鬱な気分にさせられてしまう。

簡易宿泊所

川崎市にある簡易宿泊所で火災がおこった。火元の「吉田屋」の捜査が終了したというひっそりとした記事。そして延焼した「よしの」。こちらも簡易宿泊所であるが、こちらは「把握できていない人がいた可能性」が指摘され、今日(5月24日)から捜査が始まると言う。

どうやら死傷者のなかに身寄りのないお年寄りが多かったらしく、身元の判別に時間がかかるようだ。いずれは誰しも死を迎えることになるのだけれども……。自分自身はどうなのか?と思った、日曜の昼下がりです。