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新聞日記

新聞から世界を考えてみる

試読を終えて

今回、数紙同時に試読してきました。

家族の反応は、「どうせなら1週間ごとに、順々にすれば、それだけ無料で新聞を読めるじゃない」とか、「広告(チラシ)が“かぶって”、もったいないよ」と、散々。

朝刊を束にして居間に持ってくる姿は、さながら配達屋さん。そして、それらすべてに目を通すのですから、時間と集中力を要しました。

これらの新聞を読むことで、思ったこと。それは、多くの方々が自分(読者)のために、取材・編集して、情報を届けてくれているということでした。

確かに、新聞に書いてあることがすべてではありません。世界で起きていることを、すべて取材できるわけではないから。そして、それらを文字にして、必要であれば写真やイラストも加えて編集する。それらの過程で、実際に起きたこととのズレが生じることもあるでしょう。これは新聞だけの問題ではなく、私自身の読解力にも関係することでもあると思います。

 

自分で経験することが大事。

これには賛成です。でも、これこそ大変なことではないでしょうか。

自分の生活の範囲なんて、ちっぽけなもん。そして、それこそ、どこまでいっても「主観」。簡単に「主観」なんて言葉を使ったけれど、もっと言えば、テキトーな「感覚」でしか物事を捉えてなかったりするのです。

極論してしまえば、生活している範囲外のことなんて知らなくたって、私は存在し、そして世界も存在している。

でも、やっぱり知りたいって思っちゃうんです。そして、他人(世間?)は、どんな風に、この世の中を認識しているのだろうか?と。

ちっぽけな部屋の小さな机で、これを書いています。

外に出ることもなく、世の中で起きていることを、伝えてくれる記事。なんだか、自分が大統領や総理大臣の執務室にいるような気分でした。もちろん、そんな部屋に入ったこともありませんが・・・。

A新聞「昨日、こんなことがありました。」

B新聞「D国は、このような声明を発表しました。」

C新聞「総理、Z省からこのような統計データが発表されています。」

・・・と。勝手な想像ですが、次々と膨大な記事(報告)がもたらされるのです。

そう思うと、政府や企業のトップって大変だな。全部を、自分で経験なんてできやしないのに、そうした報告を受けたら、決断しなくちゃいけないのだもの。報告は、全体ではなく、真実の一面でしかないのに・・・。その判断は、周囲に称賛され、批判される。

この約1週間。やはり大切なのは読解力、そして判断力。新聞は、そうした能力を鍛えてくれるものなのかもしれませんね。

試読をさせていただいた、各新聞社の方々、ありがとうございました。