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新聞日記

新聞から世界を考えてみる

抗議でも

アメリカのミズーリ州で、青年が警察官に射殺された。その警察官が不起訴になった。これが発端になって、抗議行動が起こった。それが拡大し、一部は暴徒化までしているという。

青年は黒人で、警察官は白人であった。これが人々の心に火がついた。おそらく日頃から、互いに不信感があるのであろう。

問題の発端になった警察官の行動は、本当はどうであったのか。そして不起訴の決定には、問題はなかったのであろうか。しかし、きっと冷静になんかなれない。失った生命は還ってこないし、またデモを起こしている人々のなかで蓄積されてきた感情をつくりだしてきた出来事。これは白人側とて同様であろう。

互いに創りあげてきてしまった不信感を、どうやったら崩す事ができるのであろうかと考えてみたけれど・・・。結局、「自分」という立場を崩すしかないのではないだろうか。

例えば、自分は「黒人」なのだろうか?と。確かに「黒人」であろう。しかし「黒人」の一人であるけどれど、「自分」=「黒人」ではないことに気づけるだろうか。では、いったい「自分」とは何なのであろうか?と。

そして嫌な事を、それも自分の生命を奪おうとする彼は、何であろうか。確かに権力をもった「警官」であり、「白人」でもある。しかし、彼は「警官」や「白人」というラベルを持ってはいるが、それらの「代表」でもない。例えば、彼の存在がいなくなったからと言って、「警官」や「白人」がいなくなる訳ではない。彼は、やはり彼なのである。その彼は、いったい誰?いやナニ?

そんなことを考えているうちに、僕自身について、朝から考え込んでしまった。今日の東京は、「小春日和」。時間はないけれど、焦ってもしかたがないね。