新聞日記

新聞から世界を考えてみる

中東テロ

テロは許されるべきことではない。

それは標的とされる側からすれば、当然の主張であろう。しかし、テロを実行する側はどうなのだろうか。みずからの信じることを達成するための手段の1つ、なのであろう。

彼らからすれば、「正当」な理由になり、「正義」にまでなる。実行した人物は、「英雄」となるわけである。もちろん、標的となった側からすれば「犯罪者」であり、「殺人者」でしかない。

相手の希望を、何でもかなえてやる必要などない。しかし、テロ実行という手段をとった時点で、彼らの希望は達成できないのではないだろうか。イスラム国を率いている人物ほど、暗殺を恐れているのではないだろうか。いったい、彼らが建設しようとしている国家とは、どのような国家なのだろうか。その理想に「国民」はついていくのだろうか。そのための「洗脳」か。それを、指導者の子どもにも施すことができるのか?

古代ローマの指導者のカエサルのように、

「自分は自身の考えに忠実に生きたいと思う。それは、他人も同様だろう。だから、他人の生き方も認める。そうして、敵が私に再び刃を向けることになったとしても、それは仕方ない。そのように生きることが私の願いだから。」

なんて言えるような人物なのだろうか。たぶん違うだろうな。そんな人物ならば、今回のようなことはしないだろうし、これまで彼らがしてきたような、恐怖のみによる「建国」はしないであろうから。

さて気になるのは、やはりアラブ世界である。アラブの人々は、どうなのだ。かれらの主張に一理あると思っているのであろうか。また「イスラム国」なんて言っているけれど、「イスラム」と言われるのは、イスラム教徒にとっては「迷惑」ではないのか。「イスラム教」については分かんない・・・と言いながら、世界中に出かけていく日本人。これだけ世界を震撼させているのに、「つまようじ少年」に騒ぐニュース。「おい、わかってんのか?」と警告をされている気がした。