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新聞日記

新聞から世界を考えてみる

テロと犯罪

昨日の衝撃の報道から一晩あけての、今朝の新聞。昨日は日曜日で夕刊がなかったこともあって、多くの紙面が中東関係の記事で占められていた。その横に、「小5女児遺棄」事件が掲載されていた。

1月31日(土)の午前中に母親と外出した。友人と遊ぶために母親と別れたが、夕方になっても帰ってこない。そこで警察に届け出た。捜査は動いた。翌日1日未明、少女の遺体を発見する。すでに少女との接点があることから、1人の男性が捜査対象になり、彼の供述に基づいての発見であったという。発見場所は、容疑者となっている彼の自宅2階の押入れ。記事を読む限りは、捜査は迅速に行われたように思う。しかし間に合わなかった。死亡推定時刻は31日の昼ごろだと書かれていた。友人と会う前に被害にあったのか、それとも友人と別れたあとに起こったことなのかは記事からは分からないが、自宅以外の場所で殺害に及んだということらしい。

供述した男は、すでに死体遺棄容疑で逮捕されているが、これから殺人容疑でも調べるということだ。彼が有罪か無罪か。有罪であれば、その量刑はどうなるのかは裁判で決められる。しかし被害に遭った少女は、殺された。殺人という犯罪が為されたことは確かなようだ。

この犯罪と、中東で起きているテロ。いったいなにが違うのか。テロは、「terror」や「terrorism」の略語である。意味は「恐怖」である。犯罪に政治的目的があるかないかで、犯罪とテロが分かれるのであろうか。

犠牲となった少女と話をすることは、もうできない。彼女が直面した恐怖は、いかばかりであったろうか。想像することしかできない。少女の家族の悲しみはいかばかりであろうか。胸が痛む。少女の友人や家族、そして地域の人々に与えた衝撃と恐怖は大きい。

政治的目的があろうがなかろうが、人に恐怖を与えた。これは terror に他ならない。また中東で日本人2人に行われたことは、まぎれもなく殺人という犯罪だ。言葉によって分類することで、それぞれに細かい対応ができるのかもしれない。しかし、言いかえると、どうなるのだろう。

福岡の事件は、許されることのない弱者を標的としたテロ行為であり、この行為によって被害者はもちろん、地域社会に大きな恐怖を与えた。シリアでの暴挙は、猟奇的で凶悪な犯罪行為であり、容疑者とされる集団は意味のわからない主張を繰り返している。

人の命が奪われたことはことは同じでも、それぞれがかけがえのない命である。言い換えたところで、意味はないのかもしれない。しかしテロとか犯罪とかいうフィルターを少し外して、起きている事態を、自分のアタマで考えるキッカケとしたい。