新聞日記

新聞から世界を考えてみる

責任追及

路線バスの運転手が、飲酒検査でアルコール反応が出た。多くの人命を預かる運転手。もちろんその責任は重い。当然、検査でアルコール反応がでれば乗車勤務はできない。1週間後の検査。再び検知された。今度は事情聴取を受けたという。

想像をしてみた。私がこの運転手であったらどうしたであろうか・・・と。1回目は、飲酒から16時間後の検査であったという。前日の晩に、どれくらい飲んだかは分からない。少なくても16時間も経過して検知されたのであるから、間違いなく、酒量を抑えることであろう。しばらくは断酒もしたかもしれない。

それが2回目も検出されてしまう。社内の事情聴取を受ける。これはマズイ!間違いなく、すごいプレッシャーがかかったのではないだろうか。

この数日後、この運転手は遺書を残して命を絶った。

この方のどのような方で、そして酒量はどの程度であったかは分からない。そして、会社側の対応も、あまり記事には書かれていなかった。

さらにビックリしたのは、このあとだ。この検知機が、誤動作であったのというのだ。なんだ、それ。

遺族側は労災認定を求めて訴訟を起こし、その判決が東京地裁で出たことで記事になっていた。訴訟まで発展したということは、労働基準監督署が遺族補償年金を認めていなかったことになる。そして企業は、遺族にどのように対応していたのであろうか。

どのような仕事にも責任がある。そこで何かあれば、やはり正していかなければならない。それを怠っていては、さらなる事態に発展する。しかし、なにかミスがあったとしても、すぐに人格否定に直結させていないだろうか。

「あの人だから仕方ないよね~」と安易に終わらせてはいけない。なぜ?という視点を忘れてはいけない。思い通りにならないことは、たくさんある。時間がなかったり、ココロに余裕がない時だってある。しかし「この人だから~」で、その人の責任で終わらせてはいけない。その人に関わっている自分側にはできることはないのか。なにか問題がおこっても、その人に寄り添うのが仲間なんじゃないだろうか。